- 早逝した祖父との思い出を綴った伯父の言葉から -
 
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【2007.06.24 Sunday 】 author : スポンサードリンク
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遺稿になってしまったが
祖父鰐口近次郎
これも遺稿になってしまったが・・・
「書くうちに幼い頃の自分になって悦に入っている。早く書き終わらなければ先がないぞと気がついての繰り返し。一息ついてよくよく考えて見ると、我が年はすでに80歳になっていた。」・・・12.1.14 亨
★わたしの母方の伯父にあたる、東 亨は一昨年亡くなりました。
【2007.01.22 Monday 12:54】 author : tawtaw9
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はじめに
 近次郎叔父は私の亡母の一番下の弟で、母より十一歳年下、私より十歳年上の叔父である。叔父のことが最初に私の記憶に残っているのは、墓地の中にある小道を叔父の背中におんぶされて、しくしく泣きながら私の家に帰るところである。
 その頃私の家は、今も三菱造船所のある長崎市東立神町の通称権現谷というところに住んでいた。叔父は祖父と二人、東立神町と小川一つ挟んだ西立神町の小学校の下の小川のところに住んでいた。墓地の中の小道が近道で、そこを抜ければ五・六分で行けたようである。
★これがブログといえるのか?約75年前、昭和初期のお話しです。
【2007.01.22 Monday 13:25】 author : tawtaw9
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私をおんぶして
 祖母は早くに亡くなったらしく、私の記憶には全然出てこない。男二人の生活なので、洗濯など手伝って帰りは私を祖父のところにおいて行く。私が何か悪いことをして祖父から怒られて泣いているところに、三菱技術学校に行っている叔父が帰って来て、私をおんぶして私の家に連れて行ってくれる。の繰り返しだったようである。祖父は気短かの代表者みたいな人でよく怒られたが、可愛がってもくれたので怖かった印象は残っていない。私の四歳から五歳にかけての頃のことである。
★わたしの母からは、祖父の躾は厳しく子供(母のこと)だとて容赦はなかった。と後に語っていましたが、愛情にも溢れていたようです。
【2007.01.23 Tuesday 19:45】 author : tawtaw9
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兄貴と喧嘩
 叔父が技術学校を卒業すると西立神(にしたてがみ)を引き払って、祖父は郷里の三重村京泊(今の長崎市京泊町)に帰り、叔父は立神の対岸の浪の平にいる長兄の藤蔵伯父のところに行ったようである。私の方も私が小学校に入る前頃には、同じ東立神ではあるが、通称ドックの上と称するところに引越していた。
 私が小学校に入って間もなく、ある日の夜遅く叔父が大きな荷物を持ってきた。「兄貴と喧嘩して出てきた、もう浪の平には帰らない」と言っている。当時の貸家は二間が多く狭いので、その夜は私と一緒に寝て、翌日は私の家から会社に出勤した。母はいろいろ考えていたが、私の家の近くの旧家の離れが空いているのを借りて、そこは寝泊りだけで食事は私の家でするということになった。
★わたしは祖父の郷里である京泊(きょうどまり)へは一度も行ったことがありません。母からは「鰐口」姓の親戚が何軒か残っているとは聞いたことがあります。死ぬ前には一度行ってみたいものです。
【2007.01.24 Wednesday 05:35】 author : tawtaw9
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