叔父が技術学校を卒業すると西立神(にしたてがみ)を引き払って、祖父は郷里の三重村京泊(今の長崎市京泊町)に帰り、叔父は立神の対岸の浪の平にいる長兄の藤蔵伯父のところに行ったようである。私の方も私が小学校に入る前頃には、同じ東立神ではあるが、通称ドックの上と称するところに引越していた。
私が小学校に入って間もなく、ある日の夜遅く叔父が大きな荷物を持ってきた。「兄貴と喧嘩して出てきた、もう浪の平には帰らない」と言っている。当時の貸家は二間が多く狭いので、その夜は私と一緒に寝て、翌日は私の家から会社に出勤した。母はいろいろ考えていたが、私の家の近くの旧家の離れが空いているのを借りて、そこは寝泊りだけで食事は私の家でするということになった。
★わたしは祖父の郷里である京泊(きょうどまり)へは一度も行ったことがありません。母からは「鰐口」姓の親戚が何軒か残っているとは聞いたことがあります。死ぬ前には一度行ってみたいものです。